父が亡くなりました
今年のお正月、父の少し弱った姿を見て心配していましたが、2月に入るとかなり介護が必要となり、3月からは目が離せない状態でした。
私が物心ついた時にはすでに政治家であった父は支援者の人に自分の子育ての方針を「愛情の表現は人それぞれ」と語っていました。
母を早くに亡くした我々3人の兄弟を育ててくれたのは母方のおばあちゃんで、おばあちゃんにはいくら感謝しても感謝しきれません。それを支援者の人たちも知っていたので、そんなふうに父は言ったのかもしれません。
子供の頃は父と旅行はおろかご飯も一緒に食べたことはありません。やんちゃくれの私は父にはよく怒られました。
それでもこの世界で私のことを父ほど思っていてくれる人はいませんでした。母もおばあちゃんも亡き後、父だけがこの世でただひとり、無条件で私のことを心配してくれていたのです。確かに父の愛情はちょっと変わった表現ではありました。
私の選挙ではあちこち走り回ってくれました。こんなやり方ではあかんとやっぱり怒られましたが。
そんな父の具合が悪くなり、私はいよいよこの世でひとり立っていかなければならないのかと落ち込む日々、いい年して情けないかぎりです。
頼りない私と違い、弟ふたりは昼夜と問わず一生懸命に父の介護、お世話をしてくれました。私も慣れない手つきで手伝いましたが、お前は下手やなと怒られました。
私の役割は、病床でも片時も本を手放さなかった父のベッドの横で一緒に本を読むばかり。「お前何読んでるんな」「武藤章の評伝」「そうか」 たったそれだけのことですが、私にはとても幸せな時間でした。
できることならもう少しだけ一緒の時間を過ごしたかった。
「お父ちゃん、ありがとう、幾つになっても頼りない息子です。これからも天国から見守ってください」(男が泣き言いうなとまた怒られるかな)