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なんだか違和感があります

第一次安倍政権の時代、安倍総理は行き過ぎたジェンダーフリーに待ったをかけるという方針を打ち出しました。自民党は男らしさ、女らしさは一概に否定されるものではない、という立ち位置だったのです。

自民党の青年局は党組織の中でも殊更保守色の強いところです。当時私は青年局の議長をしておりましたので、党本部で全国の青年局の仲間と大いに安倍総裁の方針に賛同し、ジェンダーフリーの暴走を止めようと気炎を上げたものです。

その安倍さんも凶弾に倒れ、自民党が性的少数者への理解増進を図る法案を提出しました。

男だけど男が好き、女だけど女が好き、男だけど心は女で男が好き、女だけど心が男で女が好き、男で男も女も好き、女で男も女も好き、お互いがそれでイイなら、他人がとやかくいうことではないです。これは常識。

さて、女性トイレや更衣室に心が女の男が入ってきても理解を示すべきですかね。これが差別問題となったら、喜劇なのか、悲劇なのか。

いったい男と女はどのようにして定義されるべきなのでしょう。「男女の区別がない」わけではないので、ややこしい。

東京オリンピックでトランスジェンダーの女性選手として出場した方もいました。最低1年間にわたってテストステロンの血中濃度が1リットルあたり10ナノモールを下回った場合は女性として認められるそうです。この方の女性としての出場に賛否両論があったことは記憶に新しいところです。

男女はそれが語られる文脈に応じてその定義が変わり、暗黙のうちに社会はうまく使い分けてきたのです。

そこで私の考える「男」とは

「白い牙」や「野生の叫び声」で有名なジャック・ロンドンは「暴力にもどうして至上の美がある。ただし男対男であること、彼が孤独であること、一切の人間による発明の卑劣なる凶器を用いぬことを絶対の条件としてこの美は厳しく成立する」と語っていますが、こんな言葉に共感しちゃう「性」が男なのかも。ちょっと文学的過ぎますが、要はこの種の問題は性急な立法に馴染まないということ。社会の自然なゆっくりとした変化にゆだねるべきであるということです。

 

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