日本犬保存会 和歌山支部展覧会
中曽根康弘は「政治家とは歴史という法廷で裁かれる被告」と言いました。名言ですが、「歴史」というのがなかなかの曲者。史実はひとつでも見る人の視点が違えば、解釈はいろいろなんです。
例えば五代将軍徳川綱吉、我々が学校で習った歴史ではバカ殿の典型、生類憐みの令を出して犬は「お犬様」となり、危害を加えようものなら(たとえ事故でも)えらいことになる、野良犬の収容所も作って(ちゃんと獣医もいたそうです)エサ代に今のお金だとウン十億円をだす(税金ですから)庶民には大迷惑だったらしく「犬公方(くぼう)」陰口を叩かれました。
でもちょっと待って、それって令和の今ならそんなに変ではないかも。「野良犬、野良猫の殺処分はまかりならぬ」と多くのご意見、ご要望が県議会へもよせられていますし、飼い犬、飼い猫にいたっては完全に家族の一員、家の中で一緒に暮らすので、昭和にはよく見られた犬小屋も滅多に見かけません。
現代の愛犬家から見れば、綱吉は時代を先取りした名君に映るのかもしれませんね。教科書の記述も「捨て子や老人へのいたわりを人々に求めた」などとなってきていて、何となく優しい将軍のイメージになってます。
「一事不再理」といって裁判にはやり直しはないのが原則ですが、歴史上の人物はなかなか大変、歴史法廷は何度も開かれるようです。まぁ今のところ、綱吉の場合はいいように変わりましたが、時代が変わればまた違ってくるかも。
歴史法廷に裁かれる偉人はともかく、我々中年親父を裁くのはだいたいにおいて奥様、厳しい判決が予想されますが、弁護人(犬)には愛犬をお願いしたいところです。