5年ぶりの団七踊りのお招きいただきました
古来日本では敵(仇)討(かたきうち)というのは悪いことというよりどちらかというと立派なことであったみたいです。
日本書紀にも父を殺した安康天皇を子の眉輪王(まよわのおおきみ)が刺殺する話があります。さすがに天皇を弑した(殺す)のですから、滅ぼされてしまいましたが助けてやってとの嘆願もありました。
江戸時代になれば敵討は制度として整備されました。ちゃんと手続きも定められて敵討は合法的な復讐となったのです。
とはいえ「かたき持ち」もなかなか大変、敵(仇)を探して疲れ果てる、返り討ちにあう(これも合法)池波正太郎の小説にもよくでてきます。それだけに首尾よく敵を取れれば、よくやった、でかしたとなったんでしょうね。
今はもちろん敵討は御法度ですが、令和の我々にも敵討を「気持ちはわかるよ」と思う心情がやっぱりある。もしかしたらこれは人類に普遍的な思いなのかもしれません。
和歌山市岡崎での夏祭り、敵討をテーマにした団七踊りが披露されました。奥州の武士志賀団七に父を殺された姉妹が薙刀(なぎなた)や鎖鎌(くさりがま)を修行して見事に敵を討った(実話)、これが江戸で歌舞伎となり大評判をよびます。これを見た紀州藩岡崎の郷士(ごうし)が踊りに仕立て、郷土(きょうど)芸能となりました。
なんで紀州で奥州の踊りがと思いましたが、そういうわけだったんですね。(宮城県にも団七踊りはあるそうです)
保存会の皆様のご努力で、5年ぶりの開催にもかかわらず、伝統の踊りは地区の子供達にきちんと伝承されていました。
おじいちゃん、おばあちゃんが自分たちの踊りを孫たちに伝える、この行為は途絶えがちな世代間のコミニュケーションを活性化させるもの、忘れていた大切なものをお母さんと一緒に踊る子供たちを見ながら思い出しました。
もうひとつ分からないことが、団七は悪いやつ、にっくき敵、でもなぜか踊りのネーミングは団七踊り、うーんなんで?