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お盆に思う

毎年8月15日には靖国神社へ参拝に行ってましたが、昨年父が亡くなり、今年は家で父が帰ってくる仏壇のお世話をしました。

私は長男ということもあり、親が亡くなると「家」について考えさせられます。

家系の存続ということにどれほどの意味があるのか、個としての人生が充実すればそれで良いのでは、なるほどなかなか説得力があります。

家族のしがらみ、毒オヤ、そんなものから自由に人生を生きたい、二十歳ぐらいの若造ならそう思っても無理もないかも。(私の息子も思ってる、多分)

問題は年を重ねて老練であるべき政治家までもが、そんな浅はかな考えに染まっていること。立憲民主党のある議員は「戸籍制度は明治時代にできたもの、夫婦が同姓の歴史は浅い、日本は長らく夫婦別姓であった」との趣旨の発言をしていました。(民法は昔からの習俗をもとにつくられており、もちろん戸籍制度もそうです)

氏名、姓、家名等については時代によりその意味するとことが変わったりして、頭が混乱するので、ひとまずおくとして、「家」が日本人の精神に大きな影響をおよぼしてきたことには異論はないでしょう。

リベラルはとにかく「個」が大好き、彼らの夫婦別姓が目指すとことろは「家」の解体による日本的なるものの破壊です。なにせ日本国民よりは世界市民になりたい連中ですから。

言葉を発明し、出来事の「意味」を考えざるをえなくなったヒトは、物語をつむぎます。というか、物語を生きるのがヒトというもの。さもなくばニヒリズムに陥り、それこそ生きる「意味」を見失います。

お盆には亡くなった父も母も帰ってくる。お迎えをする準備もするし、おおくりもします。うちの息子もチーンぐらいはしますしね。

近年は灯籠などは川には流せませんので、引き取ってもらいますが、たくさんの人が来ていました。日本社会にはまだ底力がある。夫婦別姓の胡散臭さにも国民は気づいているのではと期待したくなりました。

とはいえ、私が死んだら、うちの息子はちゃんと弔ってくれるのでしょうか。四六時中スマホの画面しか見ていない姿を見れば期待うす、せめてチーンはしろよ。チーンは トホホ。

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