過労死等防止対策推進シンポジウム
30年以上の昔、新卒の私はスーツ姿も凛々しく?颯爽と入社式に臨みました。
4年間もぬるま湯に浸かった大学生活から生き馬の目を抜くビジネスの世界へ。そこはまさに戦場。一瞬でヘロヘロ、ボロボロになった私は同期と傷を舐め合いながら金曜日までなんとかしのぎ、日曜日に独身寮の食堂でサザエさんがはじまると、明日からの我が身を思い涙していたのでした。(部屋にテレビを置くのは禁止でした)
時はバブル、テレビのCMは「24時間戦えますか!」と叫び、欧米は日本人を「エコノミックアニマル」と呼びました。
義理、人情、浪花節、がモットー、イケイケドンドン、ストなどあれば前日から会社へ泊まりこむ。有給休暇はあるけれど、とった人はいません。
当時の日本企業は一種の「ムラ」、世界最強の日本経済は株式会社の論理ではなく、共同体の論理で動く日本企業が作り上げたのも事実。
だけど、一糸乱れぬ統制や滅私奉公の文化は時に過剰な労働を強いることになり、過労死などの悲劇が生み出されました。
本シンポジウムではひとり息子を過労死で失った母親のお話をうかがいました。息子さんは過酷な環境で働きながらも、自分が死んだらどんなに母が悲しむだろうと思い、辛くとも死にはしないとブロブに綴っています。責任感の強い立派な方です。
「死ぬほど辛ければやめればいいのに」という声に母はいいます。「就職氷河期の中、ようやく得た正社員としての職、失うのは怖かったのでは」 もちろん母も「会社やめたら」とはいいましたが、力尽きた息子さんは帰らぬ人に。
こんな悲劇は繰り返してはなりません。
日本型労働慣行の光と闇。
政治はしっかりこの問題と向き合わなければなりません。