昭和世代の最大の娯楽は何といってもテレビ、学校ではテレビの見過ぎが社会問題となり、「テレビを見るのは一日2時間までにしましょう」とか言われた時代でした。
アニメに、バラエティ、時代劇、刑事物、サスペンス、スポーツ中継からお色気まで、とにかく見たい番組がてんこ盛り、私もテレビの前にかじりついてましたね。そこで起きたのが「チャンネル戦争」うちは男ばかりの3兄弟、私は長男の特権でチャンネルを独占してたかも、弟たちよ、ごめんなさい。いやいや笑い事じゃありません、当時「チャンネル戦争」で実際に人も死んだんですから。
テレビ和歌山開局50周年にご招待いただきました。
テレビがメディアの王者であった時代はとうに過ぎ、今やテレビがない世帯も珍しくありません。ネットでの配信が主流になりつつある今、正直これからテレビ和歌山もさぞ大変だろうと思っていましたが、実は1985年のリモコンの登場もテレビ局の在り方に大きな影響をあたえました。(コロコロチャンネル変えるようになりましたからね。私もよくやります。)
もしかすればテレビが勃興した頃、ラジオはもう終わりだと言われたのかもしれません。でもちゃっかりラジオも生き残ってます。車で聞くラジオはいいものですよね。映画も一時は低迷しましたが、今また「ゴジラ」も頑張っています。
世の中は変わりゆく、それが自分に都合のいいものであろうとなかろうと、とにかく変わってゆく、それだけが真実。その中でいかに生き抜いていくか、テレビに限らず我々全員に課せられた宿命なのですね。
頑張れテレワカ!テレビには大変な時代だけど、地域密着ってすごく大事なことだと思います。
それにしても当日は昭和のブラクリ丁の映像が流されましたが、本当にすごい人出でした。我々の子供の頃はあんなに賑わってたんやなぁ。これはちょっと変わりすぎかも。